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アルバニアってどんな国? 中編

  • 2024年11月17日
  • 読了時間: 5分

 さて、前編におきまして、アルバニアの起源から第一次世界大戦の直前まで話が進みましたね。と、いうことで中編はアルバニアが第一次世界大戦に巻き込まれるところから開始していこうと思います。


 紆余曲折を経て、オスマン帝国から独立し、ドイツ貴族を王として迎え入れることで、アルバニア公国が成立しました。

 「いや、なんでドイツだよ」と思われるかもしれませんが、大きくくくってヨーロッパ東部地域は、発展していたヨーロッパ西部から貴族を招いて権威付けに使っていたのですね。

招いたのはいいのですが、前回の通り、北エピロスというギリシャ国境地域では不穏な雰囲気が漂っており、元オスマン帝国領ということもあってムスリムが国内の多くを占めていました。加えて、アルバニアで統治機構が整うまでの間だけ、大国が行政を行うという組織も英仏独墺など大国により作られました。それだけでも、だいぶ統治が困難になるわけですが、アルバニア国内には、ギリシャ系住民、周辺国からの不法移民(というより略奪者)、ムスリム、キリスト教徒がいると、特に西洋史を学んでおられる皆様からすれば目も当てられないような情勢となっておりました。

 そして、事の発端は、アルバニアではなく、まさかまさかのオスマン帝国とセルビアの対立でした。「は!?」と言いたくなりますが、まあ、話を続けましょう。オスマン帝国は、「自国にゆかりのある人物を支援し、そいつに実権を握らせることで領土回復」という作戦で動いていましたが、セルビアにこの作戦が暴かれます。このとき、例の統治機構による裁判で、オスマン帝国に動かされていた人物は終身刑に、アルバニアの首相がこれに加担したとして内閣が倒れます。これによって、アルバニア人による統治はほぼ完全に死にました。これに起こったのがオスマン帝国派のアルバニア人です。彼らによる蜂起がおこりますが、大国からの援助によって鎮圧することに成功します。これが、1914年9月のことです。そうです。もう始まっていたんです。第一次世界大戦が!!


 前述の通り、反乱を鎮圧するまでに第一次世界大戦開は開戦していました。この際、一番の助力を送ったのは、オーストリア=ハンガリー軍だったのです。反乱鎮圧後にオーストリアは、アルバニアに対して第一次世界大戦における援軍を要求します。まあ、納得といえば納得です。

 しかし、アルバニア政府はこの要求を拒否、中立を貫く姿勢を見せます。そうなると、オーストリアはこれ以上アルバニアを助ける理由もないため、さっさと撤退します。そしてここに至ってもう一つの事件がアルバニアを襲います。1914年9月3日、ドイツから招いた貴族が、母国の危機に際して、帰って行ってしまったのです。その翌日、北エピロスからギリシャ系住民がアルバニアに対して攻撃を仕掛けてきたのです。

 もうしっちゃかめっちゃかなカオスと化していますが、ギリシャ軍が動いたり、それに対してイタリア軍が動いたり、セルビアやブルガリアがちょっかいをかけてきたり、オーストリアが軍事介入をしたり、イタリアが裏切ったりと、18世紀後半~20世紀前半のポーランドが泡を吹いて倒れるくらいの状況に悪化します。ただ、もとからムスリムとキリスト教徒が対立していたり、アルバニア人と非アルバニア人が対立していたりといったカオス具合だったので、文字に起こしてみると凄惨さが増しているだけでしょう。(HoIだったら頭われそうになるくらい上陸が行われているのだろうなあとか思ってしまう筆者の姿)

 第一次世界大戦が終結した後も、隣国からの干渉は続いたため、アルバニアはパリ講和会議において、列強からの保護を要求しました。しかし、その要求は拒否され、依然として干渉、とくにギリシャとセルビアからの干渉が続きます。そのうえ、北エピロスはギリシャへの合流が認められてしまいました。

 ただ、どこまでも運のよいのがアルバニア、ギリシャが希土戦争において連戦連敗、未回収の地域を回収し損ねたイタリアがアルバニアの味方としてギリシャの前に立ちはだかりました。ここから、第二次世界大戦終了時まで続くイタリアの影響に苦しめられることになっていきます。


 1922年から、アフメド・ゾグという人物がアルバニアの指導者になります。1923年の選挙の結果に反発した野党の実力ある党員が銃撃を受け、1924年に現政府に対する革命騒ぎに発展しました。ゾグはユーゴスラビアに亡命。こうして1924年6月、革命は成功し、この時の指導者であったテオファン・ノリが新たに首相に就任します。ただ、ノリの政策は国民から信頼を得られず、不信は募り続け、ロシアやイタリアからの支援を受けたゾグが帰還、1925年の議会で大統領に選出されます。

 1928年、指示を受け、大統領として仕事をしていたゾグはある法案を議会に提出、承認させます。

 内容は、「アルバニアは、ゾグを国王とする君主国とすること。」

 !?!?!?!?!?!?となってしまう内容ですが、イタリアからの圧力に負けて議会は承認知ってしまったのですね。それというのも、アルバニアは経済的な遅れと資源の少なさなどなどが重なり、資金援助を得る必要があったのです。その先がイタリア。なぜなら、ギリシャやユーゴスラビアは昔からの敵、ブルガリアとルーマニアは戦争疲労でどうにもならず、オーストリア=ハンガリーの構成国は援助なんてできない状況になっていましたから。

 こうしてイタリアの実質傀儡国になっていたアルバニアは、1939年にイタリア軍による侵攻が発生し、勝てるわけもなく敗北、保護領になります。そのうえ、軍事的に大切な拠点ということでもないので、第二次世界大戦の中ではあまり語られないのです。

 ここで覚えておくべきことは、「エンヴェル・ホッジャ」という人物主導でパルチザン活動を行っていたこと、戦後、彼を中心に国家が運営されること、そして、彼が熱烈で狂気的なまでのスターリン主義者だったということです……


 アルバニア史も次回できっちり終えられそうです。ということで次回、アルバニア史最終回、「アルバニア、全国家と断交する」「アルバニア、ねずみ講にはまる」「アルバニア、トーチカで遊ぶ」の三本立てでお送りしたいと思います。


文責:抹茶ラテ

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