ミュシャとスラヴ叙事詩
- 2024年11月3日
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アルフォンス・ミュシャという画家をご存じでしょうか。チェコ出身の画家で、アール・ヌーヴォー期のパリやアメリカで活躍しました。
まずはミュシャの代表作にしてデビュー作、『ジスモンダ』を見てみましょう。

美術っぽくないな、と思われたでしょうか。初期のミュシャは挿絵やポスターなどを主に描いていました。現代日本のイラストレーターに近い画風で、親しみやすいかもしれません。『ジスモンダ』は、当時のパリの人気女優、サラ・ベルナールの公演ポスターです。当時無名だったミュシャは、生活費を稼ぐのに忙しかったのにもかかわらずこの大仕事を引き受け、1週間足らずで完成させたといいます。この成功をきっかけにミュシャはサラと専属契約を結び、人気画家への一歩を踏み出しました。
このように大衆向けの宣伝広告を主に描いていたミュシャですが、晩年のミュシャは、油絵を通して強い民族意識を表現していました。ミュシャはこんな言葉を残しています。
「外国に出てからの私は燃える心で祖国を愛した。まるで愛人のように愛した。」
今回は、そんなミュシャの祖国を愛する心の発露、『スラヴ叙事詩』を紹介します。全20作からなる連作ですが、ここでは紙面の関係で、私の好きな3つを紹介します。
〇ルヤナ島のスヴァンヴィト祭り(No.2)

『スラヴ叙事詩』は、ミュシャに特徴的なイラスト的タッチを残しながら、スラヴ民族の歴史や伝承を描いた全20作からなる油絵の連作です。ミュシャはオーストリア=ハンガリー帝国の一部、現在のチェコにあたる地域で、他民族国家の中で民族意識が高まっている時代に生まれました。ミュシャは同じくチェコ出身の音楽家スメタナ作曲の『わが祖国』を聴いたことがきっかけとなり、『スラヴ叙事詩』の制作にとりかかったそうです。ミュシャは幼少期から音楽の分野でも好成績を残していました。
余談ですが、ミュシャは1910年(当時50歳)から18年間、西ボヘミアのズビロフ城(下の写真)をアトリエ兼住居としていました。現在は1泊2万円程度で宿泊可能だそうなので、チェコに訪れた際には検討してみてください。また、ミュシャは『スラヴ叙事詩』の題材となる民衆のモデルとして、ズビロフの人たちを使っていたそうです。

〇聖アトス山(No.17)

また、『スラヴ叙事詩』は象徴主義とよばれる芸術運動の影響を受けて描かれています。象徴主義とは、19世紀後半に芸術運動で、目に見えない抽象的な精神世界を、目に見える物体を用いて描こうという運動です。要は、現実の物体を用いてその物体が持つ以上の意味を暗示しようということです。写実主義と対立的な概念であり、絵の解釈を視覚以上の感性に求めるようになったという点で、このあたりから美術が難解なものになっていったと私は思います。
ミュシャの描く象徴主義的絵画は神秘的な雰囲気を漂わせた美しい画面を通じて、現実と非現実の境界が曖昧になったような、かつて神と人間との距離が近かった神話時代を想像させるような絵画であると私は思います。皆さんも『スラヴ叙事詩』を見ながら、感性に身をゆだねてみてください。「綺麗だなあ」で済ませてもらっても構いませんし、絵画についての情報や、その周辺情報を調べてみるのも楽しいと思います。
〇スラヴ賛歌(No.20)

そんな『スラヴ叙事詩』ですが、現在は南モラヴィアのモラフスキー・クルムロフ城において2026年まで展示しています。(2024年11月に確認)
2017年には国立新美術館において全20点の展示が行われたので、もしかしたらまた日本でも見られる日がやってくるかもしれません。また、2024年9月21日から12月1日まで、府中市美術館でミュシャ展が開かれています。ミュシャの絵をもっと見たいと思った方はぜひ訪れてみてください。(https://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/)
参考文献
『もっと知りたいミュシャの世界』大友義博監修, ミュシャ財団協力, 宝島社, 2017年
府中市美術館『アルフォンス・ミュシャ ふたつの世界』筑摩書房, 2024年
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