芥川龍之介『羅生門』の改変
- 2024年9月24日
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芥川龍之介という文豪をご存じでしょうか。明治時代の小説家ですが、『鼻』や『蜘蛛の糸』などは、教科書で読んだことがあると思います。先日私が山梨県立文学館に行ってきたときに、芥川の『羅生門』についての面白い話を知ったので紹介したいと思います。(『羅生門』を読んだことがないという方は、短いのでぜひ下のリンクから読んだ後、この記事をご覧ください。)
さて、本文の結末に注目してみましょう。「下人の行方は、誰も知らない。」という一文で締められています。山梨県立文学館の資料によると、この一文は芥川自身によって3度改められたものだそうです。最初は大正四年十一月の「帝国文学」において、「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつゝあつた。」とされていました。その後大正六年五月の『羅生門』では「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急いでゐた。」と修正されました。大正七年七月に『鼻』に掲載されたときにさらに修正が加えられて現在の形になったようです。
まとめると、修正前では下人は明確に強盗を行う未来が示されたのに対し、完成版では下人がどうなるのかは曖昧なまま終わらせられており、読者に想像の余地を残した結末となっています。
また、『羅生門』に登場する「下人」ですが、創作過程においては違った呼ばれ方をされていました。「交野の平六」とか、「平六」、「一人の侍」、「一人の男」という呼ばれ方がされています。これらの多様な呼称は芥川が学生時代に記していたノートにあった記述で、『羅生門』と深いかかわりがあるとされています。草稿では『交野の助六』が採用されていたようです。
ここでは紹介にとどめておきますが、芥川はどのような意図で結末や人物の改変を行ったのでしょうか。そういうことを考えてみるのも、文学の楽しみ方の一つかもしれません。
この記事から、読書をすることだけが文学の楽しみ方なのではなく、創作過程に目を向けてみたり、作家について知ってみたりと、作品の周辺を知ることもまた楽しみ方の一つだと知ってもらえれば幸いです。最後に、私が行った山梨県立文学館では、芥川の原稿を実際目にすることができるだけでなく、井伏鱒二や樋口一葉、飯田蛇笏など数々の文豪について知ることができます。近くまで訪れた際には、ぜひ覗いてみてください。
参考文献
山梨県立文学館『芥川龍之介』2021年
山梨県立文学館『山梨県立文学館所蔵 芥川龍之介資料より「羅生門」』2014年
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